絹の里 シルクカントリー倶楽部
シルクカントリー倶楽部を見下ろす、母なる大桁山(おおげたやま)は
源頼朝に仕えた、名馬【磨墨】するすみの生まれ故郷です。
今回は、ゴルフ場なのにこんな話

岐阜県郡上市にある 名馬【磨墨】に跨る源頼朝像
群馬県富岡市丹生、ここシルクの地は源頼朝に仕え活躍した、漆黒の名馬
「磨墨」(するすみ)の生誕地なのです。
戦いに疲れ果て生まれ故郷を想い、逃げ帰ったとされる悲しいお話です。
大桁山は、その昔関東地方でも名高い牧場で、多くの馬が飼われておりました。
二十世紀の終り、源氏と平家が争っていた頃、この牧場で生まれ育った、名馬磨墨が
源頼朝の許で尽くしておりました。
磨黒はその名の如く、真っ黒な毛並みの名馬でした。
木曽義仲を鎮めるため源頼朝は、京に入るために進軍し近江国で、渡るのには困難な
宇治川を挟んでにらみ合い!
頼朝は、名馬磨墨(するすみ)を梶原景季に、名馬生月(いけづき)を佐々木高綱に与え
この二人が先陣争いをして川を渡り、軍勢がこれに続き敵陣を都から追放しました。
鎌倉に帰った磨墨は景季に可愛がられてはいたが、やはり生まれ故郷の大桁山への
恋しさがつのり、手綱を切ってしまいました。
北へ北へと駆け続け野山を越えて、三日目の朝一ノ宮宮崎に辿り着きました。
磨墨が帰ってきた・・ このことを聞にした伝兵衛は・・
すだれを広げて立ちふさがった!
磨墨は嬉しかったのでしょう。
「ヒヒーン」 と一声あげると、パッと土煙をあげて二メートルも有るすだれを飛び越えた・・
後にシルクの地、丹生地区には、上丹生と下丹生の境を【駒寄、すだれの上】と名付け
飛び越えたとき、石橋に蹄(ひづめ)の跡を残したと言われております。
磨墨は、山には帰ったけれど既に皆居なくなっており、淋しさに加え鎌倉からの長旅の
疲れもあり山を下り、北側の里の「千福寺」の側を通り抜け、高田川の川辺で息絶えてしまいました。
村人が駆けつけ介抱したときは既に遅かった!!
この場所には「嘶き渕」(ななきふち)と名付けています。
そして、村人は祠(ほこら)をたてて「磨墨神社」として祀りました。
後に大正三年(1914年)千福寺は、伏見神社と合併。
伏見神社の格天井には、今でも馬の絵が多数描かれ、また馬に乗る神様も描かれ
富岡市指定文化財の大絵馬も保存されております。
また、「磨墨」が帰郷の際、喉の渇きを癒したとされる、「駒井戸」が同市一ノ宮、貫先神社
近くの「お女郎坂」に残されている。
もっと気軽にもっと手軽に
みんなで楽しむナチュラルゴルフ。
絹の里 シルクカントリー倶楽部
群馬県富岡市上丹生3202
TEL 0274-60-2411 FAX 0274-60-2132








下仁田I.Cより4㎞ 7分~8分)


![DSC06728001[1]](http://pgm.blogimg.jp/silk/imgs/8/c/8cf9db24-s.jpg)











